ユタが語った祈りの正体

沖縄には、
ユタという占い師がいる

ユタの友人が言うには、
ユタという呼び方は、
迫害の歴史があって、
蔑称になることがあるから
あまり、呼ばない方がいい


じゃあ、
カミンチュー(神人)は?

それは、
女性司祭のことで、
司祭が嫌がる


琉球シャーマンと呼ぼうか?

そう言うと、
彼女は、ニッコリ笑った


でも、ここでは便宜上、
ユタと呼ぶ
私の中でユタは、
その呼び方も含めて
軽蔑どころか、
尊敬の念しかないので


ユタと話すと、
私と同じような経験をしていて
共感することが多い


ユタは、なりたくてなるのではない
神様に指名され、
必ず、「神倒れ」を経て、
仕方なしにユタになる。


(神倒れというのは、
高熱が出たり、原因不明の病におかされたり狂気のような巫病状態になりながら、神様に、ユタになることを請われること)


これを、
テンザシ(天命)という


私は、
神様の指名ではなくて、
ただ単に、
皆が持っていたものが
何のきっかけか
残ってしまっただけだけど、

赤ちゃんの頃、
高熱で何度も死にかけたし、
実際、何分か、心停止して
あの世へいったこともある

子供の頃から、
色々わかってしまって
困ることの方が多かった
不思議なこともたくさん経験した


この類の人たちは、
この類の経験をする、
というのは確かなことなのだろうと思う



能力の極めて高いユタは、
内地の人たち(沖縄以外の人たち)
が知ることはない

ひっそりと暮らしていて
現地の人たちも、
その人がユタであることは、
外部に
決して語らない

ユタは、地域の人たちの
導きとなる土着信仰の
大事な存在で

単なる占い師ではなく、

例えば、
激戦地だった沖縄は、
戦争のせいで
拝所の場所がわからなくなったため

正しい拝所を探し
正しく祀る

これも、ユタの大切な仕事の一つ

そういう彼女も、ある地域の中で
ひっそりと暮らしている



彼女が、祈りについて語った

感謝、信仰の確信
この二つにほとんどの時間を費やす

最後に、お願い事をして、
あとは、神様に委ねる。

これが、祈りの基本。


神社やお寺での参拝は、
お願い事をする時間が
ほぼ祈りの時間を占める人ばかり


手を合わせて祈るとき、
「祈り」と「我欲」
の境目が確実にある

その自覚は少しでもあるのだろうか?

我欲や執着を神の前で呟いている
これが、
祈りの正体だよ

それが誰かの為でも、
自分の為でも、全く同じこと



これを聞いて
少しばかり反論したくなった


お願い事は、
別に悪いことじゃないし
まずいことでもないと思う
神様も仏様も、
お願い事ばかりされて、
大変
なわけではない

相手は我欲のない神様
あーだこーだ文句は言わないだろう


結局、
二人が一致した答えは、


神様に、

「この願い、叶えといてー」

これで終わり
そりゃないでしょう


結果がどうであれ、
お礼と、報告をする

「願解き」

これで祈りを完結させなければ

願解きで、祈りを完結させると
次の祈りは、
何か違ってくるかもしれない

#ユタ #祈り #テンザシ #巫病 #願解き #信仰 #占い師

いっちょ、みてみますか

慧眼(けいがん)、炯眼(けいがん)、達眼(たつがん) 目ではなく眼で見る いっちょ、見てみますか。 今後、ブログ記事は、希望される方のみに配信いたします。

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