ある修験道霊が伝えたこと

最近、修験道の守護霊を
見る機会があった。

その人は女性だが、
確かに、男性の修験道がそこにいた。

修行をするだけでなく、
薬草や、手当て(手で気を入れて治す)
のような治療もやっていて、
医者のような役割も担っていた。

今世は、西洋医学の医者だが、
このような守護霊がついている限り、
西洋医学のままでは、済ませられない。

彼女の前世の魂に刻まれたものが、
進むべき道へ動かす。


最後に、守護霊が言われていたことは、

「迷いや猜疑心が、邪魔立てし、効せずという結果を生む。
まず、決めるということを、決めろ。
修行は、迷いを無くすこと。
一心不乱に研鑽するうち、迷いがなくなり、事が為される。」

彼女本人なら、
理解できる言葉なのだと思う。


さて、

日本人は、昔から、
ハレとケを行き来して生きてきた。

ハレとケという言葉は、
柳田國男によって再発見された
時間論のようなもの。

ケとは終わらない日常のことで、
日常の生活をずっと続けて行くと、
徐々に気が衰え弱ってくる。

そして、弱ってくると病気になる。
それをケガレと日本人は考た。

そこで、
気を元に戻すもの(元気という)
が必要となる。


これが、ハレ。


ケが日常なら、ハレは、非日常。
ハレに、何をするかというと、
行事を執り行ったり、
ご馳走を食べたり....

情報や食べ物が
豊かになった現代では、
毎日がハレのような生活で、
特に若者には、
ハレをなかなか意識しにくい。


ずっとハレのような生活を続けると、
ハレがケになってしまう。


修験道の話にもどると、

非日常の「ハレ」にあたるものが、
山修行で一日12時間以上何日も
山を歩くこと。


神仏を拝み、
大自然の中で聖なる何か(ハレ)に
触れたとき、彼らは、
日常生活で枯れていた「ケ」を
洗い落として、
元気を取り戻す。


修験道でなくても、
ケを定期的に落として、
崩れたバランスを
復元することが必要。


刺激から離れて、
静かに過ごす時間を作ること

例えば、神社やお寺
へ出かける


本当は、修験道の世界は、
語り尽くせないほど
奥深いけれど、

一つ、守護霊の修験道から
伝わるものを、
簡単に言うと、



車で横付けするのと、

歩いてそこ(神社仏閣)へ辿り着くのとでは、

まるで違うハレを経験する

ということ。 


ハレは、そこへ行きました、
という事実を作るのではなく、
ハレという実感を得ることだ。


バランスを取り戻す場所は、
すぐ手の届くところにある。


が、手に取るような実感を得るには、
心、体、業(行い)が、
一体になった時ということだろう。

それは、昔も今も変わらない。

環境や食べ物や、
色んなものが変わっても、

人間そのものは、
何も変わっちゃいないから。

いっちょ、みてみますか

慧眼(けいがん)、炯眼(けいがん)、達眼(たつがん) 目ではなく眼で見る いっちょ、見てみますか。 今後、ブログ記事は、希望される方のみに配信いたします。

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