人間たらしめるもの

科学は、
見る人の気質に基づく主観から始まる

最初に立てられる「仮説」は主観で、
その主観から出発して
最終的にこれはこうだと
裏づけるための「験証」

つまり、観察、実験、計算を
何年もにわたって繰り返す

「仮説」との間を何度も何度も
往ったり来たりするのだ

科学は、
数値化できないものには
価値がないとする

魂も宗教心も常識も数値化できない
実証的にも客観的にも扱えない

魂とか宗教心とか常識とかの、
人間誰もが生きているかぎり
負い続けなければならない問題は
棚上げにされる

世の中は、
「科学的な見方、考え方」
ばかりを身につけようと躍起になり、

そういう見方、考え方こそが
自分を見失わせ、
不安に陥れているとは
つゆほども思わず、

自分の身体と一緒に
心までも実証的、客観的に
認識しようとして

実に浅薄な自己認識に留まっている

これこそ、科学信仰である

以上、
小林秀雄の言葉


小林は、
湯川秀樹と対談するほど
科学にも精通していた
そんな小林の言葉だからこそ、
なんともいえない重みがある


意外にも小林は、
宇宙や生命について
全くといっていいほど
語っていない

1961年、ガガーリンが
有人宇宙飛行を成功させた頃には
『忠臣蔵』を書いていた
1969年7月にアームストロングが
月面に着陸した頃には
『新宮殿と日本文化』について
対談していた

これに、小林の
「職人気質」を感じる

私たちは人体ではく
人間である
満たされない何かが、
人間を人間たらしめている

腹を満たしても、
満たされない何かがある

誰しもが、
満たされざる何かによって、
突き動かされている

人間だけが喰らえる「何か」が、
人間を人間たらしめている
その何かを喰らい続けるために、

自分の手の届く世界を追求し、
その世界について
真摯に向き合うという
小林の
叡智に支えられたこの
職人気質の精神が
私たちにも
活かされるのではないか




いっちょ、みてみますか

慧眼(けいがん)、炯眼(けいがん)、達眼(たつがん) 目ではなく眼で見る いっちょ、見てみますか。 今後、ブログ記事は、希望される方のみに配信いたします。

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