生きているのか、生かされているのか、という問いよりも
「私たちは、生きてるのか?
それとも生かされているのか?」
そんなことを聞かれ
「どちらもだよ」
と口をついて出てきた
これは、私の言葉ではないと
すぐにわかった
その時たまたま通りかかった
禅寺の何かが答えさせたように思えた
狛犬かもしれないし、神木かもしれない
私たちが生かされているのは
医学的事実だ
誰も自分の意思で
心臓や胃などの臓器を動かしちゃいない
酵素だってホルモンだって、
分泌するぞーと
自分でコントロールして
出しているわけでもなく、
健康な時なら、
必要な時に必要な分だけ分泌してくれる。
眠っている時にも、
ちゃんと心臓は動いてくれているし
呼吸もしている
私たちは生かされている
私たちは、
意識をしなくとも一瞬一瞬、
生きるという選択をして、
今ここにいる
私たちは生きている
宿命か、運命か?
宿命は、変えられないもので
運命は、変えられるもの
なんて、ベタな説明は置いておいて、
人は、「命」とよばれる
生きる素質や能力を
天から与えられている
これを「天命」という
素質や能力を知ることを
「知命」という
知命を発揮して成果をあげることを
「立命」という
命の使い方を
「使命」という
どれも、
命の使い方次第だ
この国に生まれた、
この家に生まれた、
良い教育を受けられなかった、
女に生まれた、
男に生まれた、
そんな風に
宿命観に支配されると、
運を運ぶことはできず、
運命がどうこうという話しにまで
辿り着かない
運命に辿りつかなければ、
天命、知命、立命に
どうやって辿りつくことができるだろうか
ましてや、
使命などわかりもしないまま
人生を終わりそうだ
運命に翻弄された気になって、
「どうして私がこんな目に
遭わなければならないの?」
と、人生の意味を問うたことは、
一度は誰もが経験したことがあるだろう
では逆に、
自分の人生の方から
「あなたはこの人生をどう生きてくれるのか?」
と問われたら、
どう答えるだろうか
生かされているか
生きてるか
について考えを巡らせるより
おそらく、この問いで
本当に知りたい答えがはっきりするだろう
#生きている #生かされている #天命#運命#宿命 #知命 #使命 #立命 #命への問い
0コメント